ナパヴァレーの谷底のにぎわいから、車で山道を15分ほど登ると、世界が変わります。セント・ヘレナの西にそびえるマヤカマス山脈の斜面、スプリング・マウンテンAVA。その森の中に、1885年建造のヴィクトリア様式の館とぶどう畑を抱えるワイナリーがあります。スプリング・マウンテン・ヴィンヤード。1980年代のテレビドラマ「ファルコン・クレスト」の舞台になった、あの館のワイナリーです。
わたしは2017年7月、ナパ滞在2日目の朝にここをプライベートアポイントメントで訪れました。前日にまわったオーパスワンやロバート・モンダヴィとはまったく違う、静かで秘密めいた時間になりました。ナパヴァレー全体のまわり方は5つのワイナリーをめぐった訪問記のまとめにまとめています。
このときのナパヴァレーの旅は動画にもまとめています(Take Travel)
スプリング・マウンテンとはどういう場所か
ナパヴァレーのワイナリーの多くは、平らな谷底に並んでいます。スプリング・マウンテンはその例外です。標高の高い山の斜面にあり、夏の午後に谷を満たす熱気の上、涼しい森の空気の中に畑が点在します。谷底より気温が低く、朝の霧の影響も違うため、同じカベルネ・ソーヴィニヨンでも酸がしっかり残り、骨格の締まったワインになります。「谷のカベルネ」と「山のカベルネ」の違いを体感できるのが、このエリアを訪れるいちばんの理由です。
スプリング・マウンテン・ヴィンヤードの敷地には、19世紀にさかのぼる複数の歴史的な畑と建物がまとめられています。中心にあるのが、1885年にサンフランシスコの実業家ティブルシオ・パロットが建てた邸宅「ミラヴァル(Miravalle)」。のちに周辺の歴史ある畑とあわせてひとつのエステートとなり、現在のスプリング・マウンテン・ヴィンヤードになりました。森と畑をあわせた広大な敷地は、ワイナリーというより山の中の隠れた荘園という趣です。
訪問記 — 「ファルコン・クレスト」の館へ

1885年建造の邸宅ミラヴァル。石の塔と木造の装飾が組み合わさったヴィクトリア様式(筆者撮影)
セント・ヘレナの町からスプリング・マウンテン・ロードを登っていくと、道はどんどん細く、森は深くなります。ゲートで名前を告げて敷地に入り、坂を上がった先に、突然あの館が現れました。石造りの塔、白い装飾柱、ヤシの木。テレビドラマ「ファルコン・クレスト」で毎週映っていた、あの外観そのままです。
「ファルコン・クレスト」は1981年から1990年までアメリカCBSで放映された、ナパのワイン一族をめぐるドラマです。日本でも放映されていたので、この館を見て「あれだ」とわかる世代には、それだけで特別な場所になります。ドラマを知らなくても、19世紀の邸宅とぶどう畑の組み合わせは十分に絵になります。
館の中でのプライベートテイスティング

ミラヴァルの食堂。ステンドグラスの窓辺の長いテーブルでグラスを傾ける(筆者撮影)
スプリング・マウンテンの訪問は完全アポイントメント制で、この日はわたしたちだけのプライベートツアーでした。案内されたのは、館の中の食堂。アーチ窓の上部にはめ込まれたステンドグラスから朝の光が差し込み、長い木のテーブルにグラスが並びます。観光客の列も、売店のレジ音もありません。聞こえるのは外の鳥の声だけ。ナパヴァレーで何か所もワイナリーをまわりましたが、「邸宅に招かれてワインをいただく」という体験はここだけでした。

館内にはワイナリーのボトルが並ぶ。中央のポスターはサミュエル・ゴールドウィン製作・ゲイリー・クーパー主演映画のスウェーデン版(筆者撮影)
館内のサイドボードには、フラッグシップの「エリヴェット(Elivette)」やライブラリーワインの大型ボトルがさりげなく置かれ、壁には1930年代の映画ポスター。ハリウッドの大プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの名前が入ったゲイリー・クーパー主演作のポスターです。映画とテレビと結びついてきたこの館らしい飾りで、案内してくれたスタッフとの会話も自然と歴史の話になりました。
SPRING HOUSEと山の畑

SPRING HOUSEの標識。樽の上に板を渡しただけのテーブルとパラソル。この名前が「スプリング・マウンテン」の由来につながる湧き水の小屋(筆者撮影)
テイスティングのあとは敷地を歩きます。オリーブの古木の間を抜けると「SPRING HOUSE」と書かれた小さな木の標識があり、ワイン樽に板を渡しただけの素朴なテーブルとパラソルが置かれていました。この山には湧き水(スプリング)が豊富で、それが山の名前の由来です。19世紀の開拓者がこの水と斜面に価値を見いだして、畑を拓きました。

畑のすぐ後ろまで針葉樹の森が迫る。谷底のワイナリーでは見られない風景(筆者撮影)
畑の風景も、谷底とはまるで違います。どこまでも平らにぶどうがつづくオークヴィルに対して、ここでは畑のすぐ背後に針葉樹の森が壁のように立ち上がります。区画は斜面に沿って不規則に切られ、木漏れ日と山の空気の中にぶどうが実る。ワインの味の違いは、この風景の違いがそのままグラスに入ったものだと、現地に立つと納得できます。
山のカベルネ — エリヴェットという頂点
スプリング・マウンテン・ヴィンヤードのフラッグシップは、カベルネ・ソーヴィニヨンを主体にしたボルドースタイルのブレンド「エリヴェット(Elivette)」です。山の畑らしく、若いうちはタンニンがしっかりと締まっていて、黒系果実の奥に鉱物的なニュアンスと森を思わせる冷涼感があります。谷底の豊満なカベルネに慣れた口には、最初は硬派に感じるかもしれません。しかしこの骨格こそが長期熟成の裏付けで、10年20年と寝かせたときの複雑さは山のワインならではです。
ソーヴィニヨン・ブランの評価も高く、この日のテイスティングでも、山の白ワインの張りつめた酸が印象に残りました。畑ごと・品種ごとの個性を、邸宅での静かな時間とともに味わう。生産量が少なく日本ではほとんど見かけないので、現地で体験する価値がいっそう大きいワイナリーです。
2020年の山火事と再生のいま
この訪問記には、大切な追記があります。2020年9月から10月にかけてナパとソノマの山を焼いた大規模な山火事「グラスファイア(Glass Fire)」で、スプリング・マウンテン・ヴィンヤードは大きな被害を受けました。畑や森が焼け、19世紀から残っていた歴史的な建物のうち、1874年に開かれた区画「ラ・ペルラ」の醸造棟が失われました。わたしが2017年に歩いた風景の一部は、もうありません。さいわい、ミラヴァルの館は焼失を免れました。
被害は3,500万ドルを超えるとされ、保険金をめぐる争いと約2億ドルの負債があいまって、ワイナリーは2022年10月に連邦破産法11章(チャプター・イレブン)の適用を申請します。長年のオーナーだったサフラ家の時代はここで終わり、2023年7月、投資会社MGGインベストメント・グループの関連会社が845エーカーのエステートを取得しました。
それからの動きは、むしろ希望の持てるものです。新しいオーナーのもとで総額1億ドル規模の再生プロジェクトが進んでいて、約200人が焼けた畑の片付けと改植にあたっています。計画には225エーカーの畑の再生、新しい醸造棟の建設、歴史的建物の改修が含まれます。醸造チームにはナパの著名なコンサルタント、フィリップ・メルカのチームが加わりました。新体制のCEOは「世界でもっとも有名なワインエステートのトップ10に入る存在にする」と語っています。
そして2026年現在、見学とテイスティングはすでに再開されています。90分のVista Tasting(85ドル)、1979年・1988年・1993年などの蔵出し古酒を含むFounders Tasting(150ドル)、ATVで山の畑を3時間めぐるSpring Mountain Explorer(395ドル)といったプログラムが提供されています。エステート・カベルネの醸造再開は2027年、新しいヴィンテージのリリースは2030年ごろの見込みです。焼けた山がグラスに戻ってくるまでの物語を、これからも見届けたいと思います。
訪問情報(2026年時点)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | Spring Mountain Vineyard(スプリング・マウンテン・ヴィンヤード) |
| 所在地 | 2805 Spring Mountain Rd, St Helena, CA 94574 |
| エリア | スプリング・マウンテン・ディストリクトAVA(マヤカマス山脈の斜面) |
| 予約 | 完全アポイントメント制(ウォークイン不可) |
| テイスティング料金 | 85〜395ドル(Vista Tasting/Founders Tasting/Explorerなど・2026年時点) |
| アクセス | セント・ヘレナ市内から山道を車で約15分。道幅が狭いので運転は慎重に |
| 所要時間の目安 | 1.5〜2時間 |
山火事からの再生の経緯は前の章に書いたとおりです。再生プロジェクトの進行にあわせて訪問プログラムは変わることがあるので、計画の前にかならず公式サイト(springmountainvineyard.com)で最新情報を確認してください。
よくある質問
Q. 予約なしで立ち寄れますか?
立ち寄れません。完全アポイントメント制で、ゲートで予約を確認されます。プライベート中心の少人数制なので、2〜3週間前には予約しておくと安心です。
Q. 2020年の山火事のあとも見学できますか?
できます。グラスファイアで畑と建物の一部が失われましたが、ミラヴァルの館は残り、新オーナーのもとで再生が進んでいます。2026年現在、複数のテイスティングプログラムが再開されています。
Q. 山道の運転は大変ですか?
セント・ヘレナからの15分は、カーブのつづく細い山道です。スマートフォンのナビがあれば迷いませんが、対向車とのすれ違いに注意が必要な箇所があります。朝の涼しい時間帯の訪問が、運転の面でも景色の面でもおすすめです。
Q. 「ファルコン・クレスト」を知らなくても楽しめますか?
楽しめます。ドラマは入口のひとつにすぎず、19世紀の邸宅、山の畑の風景、谷底とは異なる山のカベルネという本質的な魅力はドラマと関係なく成立しています。むしろワイン好きにこそ価値のある訪問先です。
Q. 谷底のワイナリーとどう組み合わせるのがいいですか?
午前中にスプリング・マウンテン、山を下りて昼食、午後に谷底のワイナリーという順番が快適です。わたしのときは山を下りたあと、ラザフォードの丘の上のオーベルジュ・デュ・ソレイユで谷を見渡しながらランチにしました。山→谷という流れは、ワインの飲み比べとしてもきれいに筋が通ります。
まとめ — ナパの「もうひとつの顔」に会える場所
オーパスワンの洗練、モンダヴィの開放感、イングルヌックの格式。谷底の名門はどこも見事ですが、スプリング・マウンテンにあるのは、それらとは別の魅力です。森の静けさ、19世紀の邸宅、湧き水の小屋、そして張りつめた山のカベルネ。観光地化されたナパの一枚裏側にある、プライベートな山の時間です。
ナパヴァレーが2回目の人、人混みを避けたい人、そして「ファルコン・クレスト」をリアルタイムで見ていた人。この山道を登る理由がひとつでもあるなら、期待は裏切られないと思います。
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